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しいたけの菌打ち(2017年3月18日)
モンペ周辺の農家さんなどが、合わせて4000本の原木としいたけの菌を頼んだという話がありまして。
モンペも100本、わけていただくことになりました。
その話の始まりは昨年の冬のこと。
原木は播州から、しいたけ菌は鳥取からやってくるそうです。
ところが、年が明けても音沙汰がなく。
そのうち大雪となり原木を積んだトラックは動けず。
雪が解けてもうんともすんとも。
後で、かもしれない---とわかったことですが、
原木を切り出すじいちゃんの、その日の気分しだいだったようで。
ようやく届いて菌打ちをしたのは3月になっての18日。
しかも、届いた菌を見て「?」となりました。
駒菌と違うやん!
菌床栽培のしいたけに見る「おがくず」がカプセル状に形成されていて、
それを原木に開けた穴に詰めるのです。
原木に穴を開けるのも菌を詰めるのも作業は同じですが、
これって、厳密には原木栽培になるのかしらと、首を傾げる始末。
確認せんかったのがいけません。
まぁ、それでも、原木100本に菌打ち完成!
正しくは「菌詰め」、です。
ようやく届いた原木です。樹皮が大きく傷ついていたり直径がばらばらだったり。
じいちゃん、仕事はていねいにお願いします
原木は硬くて重いので、運ぶのも穴を開けるのも結構な労働です。向こうでは開けた穴に「菌詰め」作業してます
積み上げた100本の原木に遮光シートをかけて、日々水遣りです
いつもの駒菌の場合ですと、夏を二回過ごして後の秋からしいたけはあらわれるのですが、こやつは今年の秋に出るのだそうです。それはそれで楽しみです。
望(2017年3月12日)
東の空に満月ぽかり
太陽と地球と月が一直線に並ぶ満月の夜、モンペは月の明かりに包まれます。
月明かりに浮かぶ景色は、なんとなく恥ずかしくなるほどはっきり。
歩けば道に自分の影がくっきり。
水を張った田んぼに月の光がさらさら。
月齢と植物の関係は以前から研究されていて、わかってきたことがたくさんあります。
たとえば中南米では、野菜の播種や収穫は月が膨らんでいくときがよいのだそうです。
根菜や葉野菜、夏野菜などにより異なりますが、
剪定にしてもそう、収穫後に糖分が増してゆくブドウや栗の場合はどうと、
細かい決まりごとがあるのです。
月齢に沿う農作業。
今年は少し考えてみたいと思う月夜でした。
樹齢40年の栗の木(2017年3月3日)
栗の木を剪定して、株の周りに肥料を撒きました
春のような陽気と冬の冷え込みが交互に訪れるこの時期、
栗にとってはとても辛い日々となります。
栗の耐凍性は厳寒期の1、2月に最高となり、3月になると急速に低下します。
一方、枝の含水率は冬の深まりとともに減少し、2月下旬から一気に増加します。
耐凍性が低下する早春に木の水分含有量が増えることが凍害の大きな要因。
凍害に遭って枯れた枝をすぐに見つけて切り取っても、木そのものが助かるとは限りません。
モンペの栗畑でも毎年数本、これまでに10本が凍害に遭って枯れました。
山の斜面など傾斜地であればこれほどの被害はないのですが、
田んぼのあとを利用すると水はけの問題があって凍害に遭いやすくなります。
数年前から凍害対策として株緩めをしていますが、それも万全ではなく。
三寒四温のこの時期を無事に乗り越えてほしいと願うばかりです。
樹齢40年の栗の木(石戸観光農園にて)
モンペの栗が樹齢40年を数えるころ、私はいません。
ですが、大きな栗の木の姿をいつも心に置いて、
一本枯れれば一本苗木を植え、一本枯れればまた一本の苗木を植えます。
40年を超えて100年ともいわれる栗の樹齢を夢見ながら。
ふきのとう(2017年1月28日)
大雪から二週間後のまかない畑
家の周囲はまだこんなんです
解けはじめた雪の下にふきのとうを見つけました
春の予感
雪まだ残るモンペの畦道でふきのとうを見つけました。
雪が解ければ両手のひらにあふれるほど見つかることと思います。
雪は天から送られた手紙である(2017年1月21・22日)
先週の大雪から一週間後のモンペの朝
池の下のシイタケのようすを見に行くと杉がぎりぎりに倒れていました
雪が降り、最低気温氷点下が続くなか、シイタケは出ます。これまでの気温が高かったせいもありますがやっぱりおかしい。でも「雪下シイタケ」はおいしい
この週末のモンペは番頭さんが一人で留守を守りました。
番頭さんは村の林務委員をしていて、この週末は日役。
山に入って「ゲンキマツ」の苗木を植えます。
昨年は500本を植え、今年は1000本を植えます。
マツタケよみがえれミッションです。
背中に担いだ籠からこぼれるマツタケを拾おうともしなかったという昔日よ、よみがえれ、です。
三尾山への林道
三尾山の登山者のために設けられた一本松の駐車場にたどり着けず。日役当日も駐車場として利用されるのですが、こういうわけで日役は日延べとなりました
ゲンキマツがそれなりの大きさに育ちマツタケが現れるころ、番頭さんは寿命を迎えているかもしれません。
今、日役で山に入っている人のどれだけが、マツタケを目にすることができるのか。
でも、ゲンキマツは山を守ろうとする人の心の象徴です。
山を守るには気力、関心、責任と体力が継続して必要です。
継続には報酬という支えがあってもいいじゃないか。
で、マツタケ(笑)
山を守るということは人一人の寿命で完結するものではなく、報酬のためには維持管理が求められます。
遠い日の思い出を遠い日の夢につなげるミッションの始まりです。
それは、中谷宇吉郎が雪を作る実験にも似て、自然への挑戦かもしれません。
中谷宇吉郎は「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残しました。
彼は人工雪(雪の結晶)を作る研究において世界的に有名な科学者です。
人工雪を作る試行錯誤の中で彼は思います。
「やはり、雪のようなものは天然こそ全く無造作に出来るものであるが、人工的に作ることはなかなか困難であろうという気がして来た。」と。
そして、十勝の山で美しい雪の結晶の数々に出会い「こんな物を人工的に作ろうとする企てすら、何だか自然に対する冒瀆のような気がして来るのであった。」と書き残しています。
マツタケもまた実験室での試験ではほとんど発芽しません。
胞子の発芽を阻害する要因や発芽に適した条件、発芽を高める条件などが未知だからです。
マツタケが好む環境を再生すること。
20年から30年後、「正夢」に出会えることを祈ります。
モンペトクワに雪ふりつむ(2017年1月14・15日)
庭から眺める三尾山(1月15日朝)
1月14日、朝目覚めて障子を開けると雪。
この冬一番の寒波はモンペトクワにも雪を降らせました。
お正月には雪が積もることが多かったのですが今年は暖かく、
ユキヤナギがぽつぽつと花を咲かせたり椎茸が出たり。
しかし、輪島の上空5000m付近に−41度の寒気が入るとさすがに雪が降ります。
(最近は輪島とは表現されません)
年に一度あるかないかの最強寒気は、三尾山を眠らせるように降り続けました。
家のすぐ横の道も積雪で溝がわからず
畑仕事の合間の休憩にとこしらえた木の椅子にも雪はふりつむ
昨日(14日)からの積雪量30cm
人の気配なく音もない雪道を栗畑まで歩いてみることにしました
雪が降る中、子供のはしゃぐ声が聞こえてきます。
田畑の法面は雪が積もれば格好のそり遊びの場に変わりますが、
声はすれども姿は見えず。
ははぁんと、栗畑の方へ辻を曲がれば、やっぱり。
ため池の斜面、吹雪の中に子供の影ふたつ。
出かけるとなれば天候や道の状態など考えず、自転車
そりの代わりは肥料などの袋
歩くのもやれやれの雪道を自転車をおして来たのでしょうか?
子供にとって自転車は移動手段にとどまらず。
なにかしらの関係性を物語っているようで---。
池の下の栗畑。今年の凍害はいかに
雪かき
ついでながら、冬になるとモンペの家は、南側にある小さな山が作る影にすっぽりと入ります。
夕方を待たずに日が陰ります。
そのため屋根に積もった雪も溶けず。
庭もまかない畑も周囲の道もモンペだけがいつまでも白いのです。
溶けても日が差さないのでたちまち凍ります。
路面は凍れば滑ります。
モンペの家の周りだけが冷凍庫状態になります。
雪はモンペを眠らせるように降り、積もります。
寒中お見舞い申し上げます(2017年1月12日)
三尾山頂から北を望む
三尾山頂上の松の枝にかかる記念のプレート
お正月の三が日は穏やかな日和でした。
モンペトクワで米作りを始めて9回目のお正月。
初めて登る三尾山です。
三尾山は標高586mながら三つの頂を持ち、裾野をゆったりと広げたたおやかな姿をしています。
モンペの田畑を見下ろすようにあり、見上げれば、いつも、そこに。
毎年行われる元旦登山には地域の小学生も参加します。
私たちは1月3日の箱根駅伝復路の青山学院のゴールを見てから山に向かいました。
林道を森林浴気分で歩いているとひょっこり現れる佐中(さなか)峠
佐中峠からは15分ほどで稜線に出ます。
登山道は整備されていますが、膝でぐいと体を持ち上げるような段差もあります。
久しぶりに腸腰筋を使う!感じですが、きつさは続きません。
稜線には近畿自然歩道の標識があります。
左、三尾山の頂上へ向かいます。
鏡峠に向かうコースとの分岐点に立つ標識
400mもあるのだろうかという印象あり
むかしむかし、山城があったとさ
頂上に着いたのは15時09分。
太陽が西に傾きかけて景色がうっすらと褐色を帯び始めました。
頂上には中世の三尾城跡と曲輪らしき跡があります。
頂上から東を望めば多紀連山の御岳(793.4m)の姿が凛々しい
モンペでお米を作るようになってから山登りをしなくなりました。
もちろん時間がないからですが、
真夏の田んぼで終日草を引いているときや延々続く畑の土木工事の際などは、
「山に登っていてよかった」とつくづく思いました。
気力と体力と辛抱が養われ、
たいていのことではへこたれないようになっていたからです。
ですが、冬も春も夏も秋も、北アや南ア、剣に登り続けて20年。
やはり、山は恋しい。
今年は森林限界線を超える山登りをしてみたいと、密かに思う三尾山登山でした。
旧年中はお世話になりました。
本年も引き続きおつきあいくださいますようお願い申し上げます。
(モンペトクワ スタッフ一同)