窓辺で「非日常」をカンガエル
平日のワタクシ、かえる店長はビルの谷間にあるビルにいます。
寒くなってきたので時々窓辺で背中をあたためます
高層ビルディングが林立するビジネス街の
いわゆるレトロビルと呼ばれる3階建ての、
エレベーターなし、アルミサッシのようなものなし、
ドアの鍵穴はこんなんで↓
鍵はこれです↓
ビジネス街でも昼下がりの窓辺は気持ちがよいものです。
ひなたぼっこなんぞしていると、ときどき、
平日がオンタイムなのか田んぼがオフなのか、
なんて考えたりします。
どちらもオンタイムなんだろな。
どちらも、日常であって、
つねひごろのことであって、
ふだんの仕事であって、
平常であって、平生であって…。
なぜこんなにくどいかというと、
近ごろ「非日常」なんて言葉もありまして、
世間曰く、ワタクシの暮らしの中にある田んぼは、
世のフツーの人々の「非日常」だそうです。
生計を立てているのが何かを日常とすれば、
田んぼでないことは間違えようのない事実なので、そうなんでしょう。
うん、百歩譲ろう。
窓のセキュリティでございます。復古調
刑務所や拘置所は非日常だと思う。
宇宙も非日常だと思う。
もし、朝目覚めていきなり氷河期だったら、非日常だと思う。
なんか、つらいものばっかりですが。
でもねぇ…。
「いやっ、うらやましいわ、行ってええ?」
「いやぁ〜、うちもしたいしたい」
などといわれると、非日常って、そないに簡単に入って行けるものなのかと言いたなんねんけど。
(関西の男女は話の最初に「いや」をつけます。谷崎潤一郎の小説を呼んでください。決して「嫌」の「いや」ではありません。ついでながら、同じ言葉を二回繰り返します。動詞でも名詞でも形容詞でも、なんでもかんでも二回続ける人は関西人です。)