耕して天に至る(2015年7月14日)
松山市で二泊三日の出張スケジュールを一泊二日に押し込み、
向かったのは宇和島市遊子水荷浦。
「段畑」を見たい一心で。
『段々畑 水ヶ浦』の標の彼方に見えるのが段畑です
「民宿段畑さの家」の裏から段畑への道を歩きます。
さの家さんは一日ひと組のゲストをもてなす宿です
見上げると首が痛くなる傾斜に「耕して天に至る」を実感
最大42度の傾斜に高さも幅も1mに満たない畑が重なります
ところどころに排水溝。石垣が崩れないように排水は大事
崩れた石垣の修復中か段畑増殖中か。
石を運び、積むのは、ただただ人の力のみ
この季節に植えるのはサツマイモ。苗の緑が美しい縞模様を作ります
水荷浦の段畑の特産はジャガイモです。種芋は北海道産。
この地は暖かく霜が降りないので12月に植え付け、1月には芽が出て、3月末には収穫が始まります
春に掘り残したジャガイモがところどころで育っていました
段畑の斜面には訪れた人も歩ける道があります。
そろそろ段畑の頂上。帰路は薬師堂に寄ります
波穏やかな入り江の景色が広がります。真珠の養殖が盛んです
段畑の反対側の入り江では鯛の養殖をしています
「耕して天に至る」には続く言葉があります。
「貧たるや推して知るべし」とも「以て貧なるを知るべし」とも伝えられます。
亡命していた孫文や、日清戦争の戦後処理で来日した清の要人の言葉とも諸説ありますが、彼らがこの地を訪ねたのかどうか、素朴な疑問はあります。
しかしながら、孫文も清の要人もあたりまえながら中国の人。中国には雲南省南部のアイラォ山脈に千数百年も前から少数民族により棚田による稲作が続いています。総面積24,000ha。山の中腹から谷底までの斜面を埋め尽くす棚田は、まさに、耕して天に至る景色として知られています。
孫文を持ち出したのは、そういう背景をしのばせてのことかと、考えはめぐります。
「耕して天に至る。貧たるや推して知るべし」
貧しさを強調しているのではなく、水荷浦の人の暮らしが清貧で勤勉であることに、感動を禁じ得ない、その思いを伝える言葉のように思います。
同じ日本人として誇りに思い、この言葉と景色を胸に刻みます。