「神宿る島」宗像・沖ノ島 その1(2017年3月26日)
沖ノ島は玄界灘のほぼ真ん中、九州本土からは約60km離れた海に浮かびます
2017年の世界文化遺産登録を目指す候補に、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が推薦されました。
構成資産リストには宗像大社沖津宮、宗像大社沖津宮遥拝所、宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮と新原・奴山古墳群が並びます。
沖津宮は絶海の孤島沖ノ島に、沖津宮遥拝所と中津宮は大島に、そして辺津宮は九州本土にあります。
辺津宮と大島は海を隔てて11km、沖ノ島と大島は49km離れています。
3月下旬のある日、宗像大社を訪ねました。
天神の日銀前と神湊港(こうのみなとこう)渡船ターミナルをつなぐバス。7時50分発に乗りました
沖ノ島から出土した三角縁神獣鏡が神湊港渡船ターミナルのエントランスに。力強いデザインです
バスは8時58分に神湊港波止場(神湊港渡船ターミナル)着。連絡船は9時25分に出港。大島港ターミナルには9時50分に入港
大島港ターミナルから10時に出る無料観光バスに乗って島内めぐりへ。まずは沖津宮遥拝所へ
日露戦争の日本海海戦において、日本艦隊とロシアのバルチック艦隊はこの沖ノ島沖で激突しました
日本海海戦は沖ノ島のすぐそばで火蓋を切り、沖津宮の神官に仕えていた付き人は木に登って、海戦の始終を目撃したと伝わります。
『坂の上の雲』にあったような---とふと思い、司馬遼太郎氏もここに立ち、この風を感じ、この景色を眺めたのだろうなと。
彼のすごいところはそういうところなのだと改めて思いました。
(続く)
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しいたけの季節到来(2017年3月27日)
これは、夏を二回越した去年の秋から出始めた駒菌打ちのしいたけ
しいたけなどきのこの旬は秋だと思っていました。
スーパーマーケットで通年見かけるにしても、秋でしょ、です。
しいたけを栽培するようになってから、しいたけの出番は年二回だと知りました。
最低気温が10度あたりをうろうろするようになると、出ます。
なので、冬から春に向かうこの時期と秋。
モンペでは秋よりも春にたくさん出るように思います。
収穫がずれると、木になったまま乾いていきます。
天然の干ししいたけ!と喜んでいる場合ではありません。
せっせせっせと収穫して、天日で乾かして、乾燥しいたけをたくさん作ります。
お味噌汁にぽい、甘辛く煮てお弁当のご飯の上に。
モンペのご近所さんも毎日毎日干したしいたけをお味噌汁にぽい。
収穫が遅れて乾き気味のしいたけ
しいたけの原木近くに咲くスイセン。そろそろと春
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しいたけの菌打ち(2017年3月18日)
モンペ周辺の農家さんなどが、合わせて4000本の原木としいたけの菌を頼んだという話がありまして。
モンペも100本、わけていただくことになりました。
その話の始まりは昨年の冬のこと。
原木は播州から、しいたけ菌は鳥取からやってくるそうです。
ところが、年が明けても音沙汰がなく。
そのうち大雪となり原木を積んだトラックは動けず。
雪が解けてもうんともすんとも。
後で、かもしれない---とわかったことですが、
原木を切り出すじいちゃんの、その日の気分しだいだったようで。
ようやく届いて菌打ちをしたのは3月になっての18日。
しかも、届いた菌を見て「?」となりました。
駒菌と違うやん!
菌床栽培のしいたけに見る「おがくず」がカプセル状に形成されていて、
それを原木に開けた穴に詰めるのです。
原木に穴を開けるのも菌を詰めるのも作業は同じですが、
これって、厳密には原木栽培になるのかしらと、首を傾げる始末。
確認せんかったのがいけません。
まぁ、それでも、原木100本に菌打ち完成!
正しくは「菌詰め」、です。
ようやく届いた原木です。樹皮が大きく傷ついていたり直径がばらばらだったり。
じいちゃん、仕事はていねいにお願いします
原木は硬くて重いので、運ぶのも穴を開けるのも結構な労働です。向こうでは開けた穴に「菌詰め」作業してます
積み上げた100本の原木に遮光シートをかけて、日々水遣りです
いつもの駒菌の場合ですと、夏を二回過ごして後の秋からしいたけはあらわれるのですが、こやつは今年の秋に出るのだそうです。それはそれで楽しみです。
望(2017年3月12日)
東の空に満月ぽかり
太陽と地球と月が一直線に並ぶ満月の夜、モンペは月の明かりに包まれます。
月明かりに浮かぶ景色は、なんとなく恥ずかしくなるほどはっきり。
歩けば道に自分の影がくっきり。
水を張った田んぼに月の光がさらさら。
月齢と植物の関係は以前から研究されていて、わかってきたことがたくさんあります。
たとえば中南米では、野菜の播種や収穫は月が膨らんでいくときがよいのだそうです。
根菜や葉野菜、夏野菜などにより異なりますが、
剪定にしてもそう、収穫後に糖分が増してゆくブドウや栗の場合はどうと、
細かい決まりごとがあるのです。
月齢に沿う農作業。
今年は少し考えてみたいと思う月夜でした。
樹齢40年の栗の木(2017年3月3日)
栗の木を剪定して、株の周りに肥料を撒きました
春のような陽気と冬の冷え込みが交互に訪れるこの時期、
栗にとってはとても辛い日々となります。
栗の耐凍性は厳寒期の1、2月に最高となり、3月になると急速に低下します。
一方、枝の含水率は冬の深まりとともに減少し、2月下旬から一気に増加します。
耐凍性が低下する早春に木の水分含有量が増えることが凍害の大きな要因。
凍害に遭って枯れた枝をすぐに見つけて切り取っても、木そのものが助かるとは限りません。
モンペの栗畑でも毎年数本、これまでに10本が凍害に遭って枯れました。
山の斜面など傾斜地であればこれほどの被害はないのですが、
田んぼのあとを利用すると水はけの問題があって凍害に遭いやすくなります。
数年前から凍害対策として株緩めをしていますが、それも万全ではなく。
三寒四温のこの時期を無事に乗り越えてほしいと願うばかりです。
樹齢40年の栗の木(石戸観光農園にて)
モンペの栗が樹齢40年を数えるころ、私はいません。
ですが、大きな栗の木の姿をいつも心に置いて、
一本枯れれば一本苗木を植え、一本枯れればまた一本の苗木を植えます。
40年を超えて100年ともいわれる栗の樹齢を夢見ながら。
ふきのとう(2017年1月28日)
大雪から二週間後のまかない畑
家の周囲はまだこんなんです
解けはじめた雪の下にふきのとうを見つけました
春の予感
雪まだ残るモンペの畦道でふきのとうを見つけました。
雪が解ければ両手のひらにあふれるほど見つかることと思います。
雪は天から送られた手紙である(2017年1月21・22日)
先週の大雪から一週間後のモンペの朝
池の下のシイタケのようすを見に行くと杉がぎりぎりに倒れていました
雪が降り、最低気温氷点下が続くなか、シイタケは出ます。これまでの気温が高かったせいもありますがやっぱりおかしい。でも「雪下シイタケ」はおいしい
この週末のモンペは番頭さんが一人で留守を守りました。
番頭さんは村の林務委員をしていて、この週末は日役。
山に入って「ゲンキマツ」の苗木を植えます。
昨年は500本を植え、今年は1000本を植えます。
マツタケよみがえれミッションです。
背中に担いだ籠からこぼれるマツタケを拾おうともしなかったという昔日よ、よみがえれ、です。
三尾山への林道
三尾山の登山者のために設けられた一本松の駐車場にたどり着けず。日役当日も駐車場として利用されるのですが、こういうわけで日役は日延べとなりました
ゲンキマツがそれなりの大きさに育ちマツタケが現れるころ、番頭さんは寿命を迎えているかもしれません。
今、日役で山に入っている人のどれだけが、マツタケを目にすることができるのか。
でも、ゲンキマツは山を守ろうとする人の心の象徴です。
山を守るには気力、関心、責任と体力が継続して必要です。
継続には報酬という支えがあってもいいじゃないか。
で、マツタケ(笑)
山を守るということは人一人の寿命で完結するものではなく、報酬のためには維持管理が求められます。
遠い日の思い出を遠い日の夢につなげるミッションの始まりです。
それは、中谷宇吉郎が雪を作る実験にも似て、自然への挑戦かもしれません。
中谷宇吉郎は「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残しました。
彼は人工雪(雪の結晶)を作る研究において世界的に有名な科学者です。
人工雪を作る試行錯誤の中で彼は思います。
「やはり、雪のようなものは天然こそ全く無造作に出来るものであるが、人工的に作ることはなかなか困難であろうという気がして来た。」と。
そして、十勝の山で美しい雪の結晶の数々に出会い「こんな物を人工的に作ろうとする企てすら、何だか自然に対する冒瀆のような気がして来るのであった。」と書き残しています。
マツタケもまた実験室での試験ではほとんど発芽しません。
胞子の発芽を阻害する要因や発芽に適した条件、発芽を高める条件などが未知だからです。
マツタケが好む環境を再生すること。
20年から30年後、「正夢」に出会えることを祈ります。