「神宿る島」宗像・沖ノ島 その2 ハブを食べる(2017年3月26日)
宗像大社中津宮は海のそばにあります。鳥居をくぐって石段を上ります
中津宮の本殿。海を隔てて九州本土にある辺津宮と向かい合っているそうです
階段の下方に見える鳥居が先ほどくぐった鳥居です
大島に渡る前々日、大島のことを調べていると「トウヘイ」なる魚の鍋がおいしいと。
トウヘイはウナギ科のクロアナゴで、秋から冬にかけて脂がのっておいしくなり、大島では昔から家庭料理として親しまれ、民宿や旅館では白味噌仕立ての鍋料理で出すと。
ところが、冬は漁があまりできなくて、事前予約必須!
大島観光案内所に尋ね、「とうへい」を出す民宿を教えていただいたのですが、
週末なのでどこも席(部屋)に空きがなく。
なんとかならんかと前日もあきらめずに、博多のホテルから観光案内所に相談すると、
昨日とは違う女性スタッフが教えてくださったのが三好屋旅館。
予約でいっぱいだったのですが、なんとかなりますと受けてくださいました。
そのとき女将さんは、トウヘイのことを「ハブ」とおっしゃって、何気なく、ホントにこちらは何も聞かないのに、現物はお見せできませんよぉ、と。
ハブぅぅぅぅ!
ハブの洗い
ハブの唐揚げ
白味噌仕立てのハブの紙鍋
おいしくいただきました。
(続く)
「神宿る島」宗像・沖ノ島 その1(2017年3月26日)
沖ノ島は玄界灘のほぼ真ん中、九州本土からは約60km離れた海に浮かびます
2017年の世界文化遺産登録を目指す候補に、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が推薦されました。
構成資産リストには宗像大社沖津宮、宗像大社沖津宮遥拝所、宗像大社中津宮、宗像大社辺津宮と新原・奴山古墳群が並びます。
沖津宮は絶海の孤島沖ノ島に、沖津宮遥拝所と中津宮は大島に、そして辺津宮は九州本土にあります。
辺津宮と大島は海を隔てて11km、沖ノ島と大島は49km離れています。
3月下旬のある日、宗像大社を訪ねました。
天神の日銀前と神湊港(こうのみなとこう)渡船ターミナルをつなぐバス。7時50分発に乗りました
沖ノ島から出土した三角縁神獣鏡が神湊港渡船ターミナルのエントランスに。力強いデザインです
バスは8時58分に神湊港波止場(神湊港渡船ターミナル)着。連絡船は9時25分に出港。大島港ターミナルには9時50分に入港
大島港ターミナルから10時に出る無料観光バスに乗って島内めぐりへ。まずは沖津宮遥拝所へ
日露戦争の日本海海戦において、日本艦隊とロシアのバルチック艦隊はこの沖ノ島沖で激突しました
日本海海戦は沖ノ島のすぐそばで火蓋を切り、沖津宮の神官に仕えていた付き人は木に登って、海戦の始終を目撃したと伝わります。
『坂の上の雲』にあったような---とふと思い、司馬遼太郎氏もここに立ち、この風を感じ、この景色を眺めたのだろうなと。
彼のすごいところはそういうところなのだと改めて思いました。
(続く)
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しいたけの季節到来(2017年3月27日)
これは、夏を二回越した去年の秋から出始めた駒菌打ちのしいたけ
しいたけなどきのこの旬は秋だと思っていました。
スーパーマーケットで通年見かけるにしても、秋でしょ、です。
しいたけを栽培するようになってから、しいたけの出番は年二回だと知りました。
最低気温が10度あたりをうろうろするようになると、出ます。
なので、冬から春に向かうこの時期と秋。
モンペでは秋よりも春にたくさん出るように思います。
収穫がずれると、木になったまま乾いていきます。
天然の干ししいたけ!と喜んでいる場合ではありません。
せっせせっせと収穫して、天日で乾かして、乾燥しいたけをたくさん作ります。
お味噌汁にぽい、甘辛く煮てお弁当のご飯の上に。
モンペのご近所さんも毎日毎日干したしいたけをお味噌汁にぽい。
収穫が遅れて乾き気味のしいたけ
しいたけの原木近くに咲くスイセン。そろそろと春
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しいたけの菌打ち(2017年3月18日)
モンペ周辺の農家さんなどが、合わせて4000本の原木としいたけの菌を頼んだという話がありまして。
モンペも100本、わけていただくことになりました。
その話の始まりは昨年の冬のこと。
原木は播州から、しいたけ菌は鳥取からやってくるそうです。
ところが、年が明けても音沙汰がなく。
そのうち大雪となり原木を積んだトラックは動けず。
雪が解けてもうんともすんとも。
後で、かもしれない---とわかったことですが、
原木を切り出すじいちゃんの、その日の気分しだいだったようで。
ようやく届いて菌打ちをしたのは3月になっての18日。
しかも、届いた菌を見て「?」となりました。
駒菌と違うやん!
菌床栽培のしいたけに見る「おがくず」がカプセル状に形成されていて、
それを原木に開けた穴に詰めるのです。
原木に穴を開けるのも菌を詰めるのも作業は同じですが、
これって、厳密には原木栽培になるのかしらと、首を傾げる始末。
確認せんかったのがいけません。
まぁ、それでも、原木100本に菌打ち完成!
正しくは「菌詰め」、です。
ようやく届いた原木です。樹皮が大きく傷ついていたり直径がばらばらだったり。
じいちゃん、仕事はていねいにお願いします
原木は硬くて重いので、運ぶのも穴を開けるのも結構な労働です。向こうでは開けた穴に「菌詰め」作業してます
積み上げた100本の原木に遮光シートをかけて、日々水遣りです
いつもの駒菌の場合ですと、夏を二回過ごして後の秋からしいたけはあらわれるのですが、こやつは今年の秋に出るのだそうです。それはそれで楽しみです。
望(2017年3月12日)
東の空に満月ぽかり
太陽と地球と月が一直線に並ぶ満月の夜、モンペは月の明かりに包まれます。
月明かりに浮かぶ景色は、なんとなく恥ずかしくなるほどはっきり。
歩けば道に自分の影がくっきり。
水を張った田んぼに月の光がさらさら。
月齢と植物の関係は以前から研究されていて、わかってきたことがたくさんあります。
たとえば中南米では、野菜の播種や収穫は月が膨らんでいくときがよいのだそうです。
根菜や葉野菜、夏野菜などにより異なりますが、
剪定にしてもそう、収穫後に糖分が増してゆくブドウや栗の場合はどうと、
細かい決まりごとがあるのです。
月齢に沿う農作業。
今年は少し考えてみたいと思う月夜でした。
樹齢40年の栗の木(2017年3月3日)
栗の木を剪定して、株の周りに肥料を撒きました
春のような陽気と冬の冷え込みが交互に訪れるこの時期、
栗にとってはとても辛い日々となります。
栗の耐凍性は厳寒期の1、2月に最高となり、3月になると急速に低下します。
一方、枝の含水率は冬の深まりとともに減少し、2月下旬から一気に増加します。
耐凍性が低下する早春に木の水分含有量が増えることが凍害の大きな要因。
凍害に遭って枯れた枝をすぐに見つけて切り取っても、木そのものが助かるとは限りません。
モンペの栗畑でも毎年数本、これまでに10本が凍害に遭って枯れました。
山の斜面など傾斜地であればこれほどの被害はないのですが、
田んぼのあとを利用すると水はけの問題があって凍害に遭いやすくなります。
数年前から凍害対策として株緩めをしていますが、それも万全ではなく。
三寒四温のこの時期を無事に乗り越えてほしいと願うばかりです。
樹齢40年の栗の木(石戸観光農園にて)
モンペの栗が樹齢40年を数えるころ、私はいません。
ですが、大きな栗の木の姿をいつも心に置いて、
一本枯れれば一本苗木を植え、一本枯れればまた一本の苗木を植えます。
40年を超えて100年ともいわれる栗の樹齢を夢見ながら。