みずかき
除草剤も化成肥料も使わない。
そのことに私もモンペトクワの皆も、周囲の人々も、
「なんで?」という疑問を持たないまま今年、4回めの田植えを迎えました。
まだまだ、新米でございます。
苗を植える、一週間もするとヒエが現れる、田んぼの中に入って抜く。
昨年は時機を逃し、田んぼに入るのが遅れました。
ヒエは「ひえぇ〜」というほどに、はびこった。
ムンクの叫び状態です。
普通、田んぼでは稲を作ります。
それが「苗とヒエの共作」になり、
いずれは「ヒエ田になるかもぉ」という様相を呈するほどになりました。
「様相かぁ…、様相なぁ…、『深刻な様相を呈する』、というふうに使うんだっけ…」などと、
国語の試験を振り返り、確かに深刻だわ、と青ざめていると、
隣では、「いでし月かもぉ」とつぶやいているかえる番頭がおります。
人間、深刻な事態に直面すると、瞬間、こうなりますね。
↑出番を待つ「みずかき」。
力のある男性は二台をくっつけて使います
↑「みずかき」着水! まにゅふぁくちゅぁという感じです
抜けばいいんだ抜けば。
だが、しかし、それは、
ゴルフ場のフエアウエーの草をことごとく抜いて歩くようなもので、
果てのない作業となりました。
ヒエが稲の足下や周囲に生えると、
稲はブンケツ(根本から茎が分かれて出ること)できず、一株の米の収量が落ちます。
ヒエの成長との競争が始まりました。
それは、地獄の夏の始まりでもありました。
ほんまに、くたびれました。
↑このようにして条間を押して歩きます
で、今年。
田植えが済んだ田んぼを眺めていると、
少し除草剤をまいてみれば〜?との声が。
毎週末、夜明けから日の入りまで、雨でも炎天下でも、
田んぼの中にかがんでヒエを抜く私がいます。
田んぼの中の私が風景として固定化している。一枚の絵のように。
「落ち穂ひろい」ではなく、「やたらひろい」ですが。
それが、見ている側も辛いと。
苗と苗の間に生えているのがヒエ。
「みずかき」で田んぼを耕してゆきます
私の田んぼの周りの米作りは減農薬だったり、有機だったり、不耕起だったり。
皆さん、声高に主張もせず、拳も振り上げず。
それぞれに、ああでもない、こうかしらと、工夫を試みています。
だからかな? 新米の私を、つまりはよそ者の私を、理解して、受け入れて、助けてくださる。
無農薬でなくても減農薬でよいのでは?
無理をすると体を壊すし、続けることが大切だから、と。
そのときに初めて気がつきました。
私は、無農薬を意識して米作りをしていると思われているのだろうかと。
石油に依存しない農業を考えると、結果はそうなのですが…。
↑手で抜いて歩くよりラクです。
田んぼに浮いているもろもろとしたものはカエルの卵。
草刈りの草上げをまだしていないので、見苦しいですが…
皆の気持ちをありがたく受け止め、
なんとか去年より「ましなめにあいたい」と、
田んぼの中をタイヤチェーンを引きずって歩きます。
これは、りんご農家の木村さんがしていらっしゃること。
すると、「何をしておいでか?」と八十路の現役ファーマーが田んぼに下りてきてくださる。
かくがくしかじか…。
数分後、再び現れたじっちゃんの手には、でかい「みずかき」が!
名前はちゃんとあります。水田中耕除草機。立派な農機具です。
田んぼの中を押して歩く。
簡単そうで難しい。ラクそうでしんどい。けんど、楽しい。
ヒトは道具を手に持つと、時間を忘れて夢中になります。
↑ラクになったとはいえ、写真の左上から始めて、畦一つ越えて、
右にちらりと写っている田んぼにも入ります。
右の田んぼは左の田んぼの二倍の広さがあります
みずかきの登場で条間のヒエは抜けますが、
株間のヒエは、やはり手で抜かねばなりません。
それでも、機械時代直前の爛熟した手工業労働が始まったということで、
モンペトクワにとっては「マニュファクチャア時代」到来という、
記念すべき一日となりました。
↑みずかきの休憩姿。哀愁が漂います。みずかきでもやたら広い、と感じます