桜塚物語(2014年4月14日)
県道の脇に咲く櫻塚の桜
「史跡 櫻塚」の碑が、曰く(事情)を物語ります
モンペトクワから町役場に向かう途中に大きな桜の木があります。
池や川の堤ではなく、山辺でもなく、並木でもなく、
県道の脇に、周囲の風景をもぎ取られたように一本だけ、
枝を拡げています。
ここには、地域の豪族のものと考えられる古墳があったそうです。
もともとあった道を拡げたのか、新しく県道を敷いたのか、
ルート上にあったために古墳の姿はなくなったそうです。
古墳だったかどうかわからないという話もあります。
研究や調査が待たれていたのかもしれません。
古墳に使われていた石を集めて塚にし、
桜の木を植え、櫻塚という石碑が立ちました。
4月10日 午前5時52分の東の空
4月10日 午前5時53分、ほんのり曙色に染まる桜
日本人は桜が好きです。
西行は桜の花のもとで死にたいと言い、
大伴家持は、桜の散り際に死ぬことに比べたら、
世の中なんてたいしたことないぜ、と言います。
桜ではありませんが、業平の、
…春やむかしの春ならぬ、わが身ひとつはもとの身にして…
が、秀逸。
町役場近くの桜
人の心を置き去りにするような散り際の未練のなさが、
うじうじと女々しい者にとっては、うらやましくも美しく、憧れで。
じつは、ほんとうは薄情な日本人が、その心を隠すために、
桜が咲いては胸ときめかせ、桜が散っては心ふるわせ、
あぁ、私は、こんなにも多感でございますと、歌に詠む。
そして、その歌に共感して涙する。
昔も今も。
福山クンの桜坂、ケツメイシのさくら、中島美嘉さんの桜色舞うころ…。
櫻塚の桜には、そんな心残りの様子はなく、
毎年、同じ場所で、見事に花を咲かせ、春を告げます。
何事もなかったように。
わが身ひとつはもとの身にして、と。